Sister x JOSEPH BEUYS

【Sister × JOSEPH BEUYS】映画「ヨーゼフ・ボイスは挑発する」トートバッグ/GREY x RED

¥2,750 (in tax)

SOLD OUT

映画公開に合わせて3月2日(土)より販売を開始致します。
販売はSister店舗、UPLINK渋谷UPLINK吉祥寺にてご覧頂けます。
今回のコラボレーションアイテムは、ボイスが残した「Every human being is an artist」(全ての人間は芸術家です)
のドイツ語版「Jeder Mensch ist ein Künstler.」をグレーのキャンバストートバッグに赤のシルクスクリーンでプリント。
サイズ :340 x 260 x 100(mm)
持ち手: 25 x 470(mm)
容量:約6リットル
特設ページはこちら→ CLICK HERE

JOSEPH BEUYS (ヨーゼフ・ボイス)

1921年ドイツ、クレーフェルト生まれ。
自然を愛し、医学の道を志していたが、十代の前半に彫刻家ヴィルヘルム・レームブルックに強い衝撃を受け、
デッサンを描き始める。1940年にドイツ空軍に志願し、
シュトゥーカ急降下爆撃機に無線オペレーターとして搭乗し第二次世界大戦中の東部戦線に参加した。
1944年5月、クリミア半島上空でソ連軍に撃墜され負傷。
ボイスは遊牧民のタタール人(クリミア・タタール人)に助けられ、体温が下がらないように脂肪を塗られてフェルトにくるまれたため助かったと証言している。
復員後、人間や植物などを題材にした水彩画やドローイングを描き始め、1947年、デュッセルドルフ芸術アカデミーに入学。  1960年より脂肪やフェルトを素材にした立体作品やパフォーマンスを発表。
1961年、自らが学んだデュッセルドルフ芸術アカデミーの彫刻科教授になると、
自分のクラスは入りたい者すべてが入れるべきだと、定員で入れなかった学生を自分のクラスに受け入ることを決める。
反発する学校当局と衝突し、1972年に解雇。
抗議する学生を味方に大学との訴訟に入り、1978年勝訴。教授には戻れなかったが、
使用していた教室を拠点に自由国際大学を立ち上げる。
1962年、フルクサスのメンバーに参加。
ナム・ジュン・パイクとコラボレーションを行う。
1976年、連邦議会選挙で『独立したドイツ人の運動連合』の候補として出馬。
1982年のドクメンタ7で「7000本の樫の木」プロジェクトを実施。
また1982年にはミュージシャンとしてシングル「Sonne statt Reagan(レーガンの代わりに太陽を)」をリリース。
「レーガレーゲン(雨)とレーガンをかけ、当時のアメリカ合衆国レーガン大統領を風刺したナンバー。
ミュージック・ビデオでは、ミュージシャンを従え熱唱するボイスを見ることができる。
日本では1984年に西武美術館で個展を開催。
来日し、東京藝術大学の体育館では500人の学生との対話集会を行うほか、スーパーニッカのCMにも出演。
「ヨゼフ・ボイス氏は、自らの自然保護活動の推進のために出演しました。」(当時の表記はヨゼフ)
というコピーとともに森林のなかでグラスを持つボイスが映されるものだった。
1986年、デュッセルドルフにて没。

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